江戸時代、その頃の交通手段といえば馬に乗るか、籠か歩くしかない時代でした。
慶長5年(1600年)、五街道の一つ甲州街道が整備されました。
同時に、その街道沿いに大名行列や商人また一般の旅人らのために、
休息や宿泊場として重要な施設がある集落や町、宿場が設置されました。
甲州街道は信濃(今の長野県)の上諏訪から江戸日本橋まで、道のりが53里2町23間(208.5km)でした。
この街道には間に44の宿場がありました。
しかし当初、江戸日本橋から最初の高井戸宿まで4里(約15km)と遠かったため、
元禄11年(1698年)江戸日本橋から2里の茅野原だった辺りを開発し、
元禄12年(1699)2月に45宿めの新しい宿場が開設されました。
「新宿」の名はそれに由来します。その宿場町の一部が内藤家の敷地でしたので内藤新宿とも呼ばれました。
江戸四宿といい、東海道の品川宿、中山道の板橋宿、日光・奥州道の千住宿
そして甲州街道の内藤新宿は江戸日本橋からそれぞれ最初の宿場として、
とても繁栄することになります。宿場町として商業や娯楽も盛んになり、
江戸最大の遊興歓楽地となって今日まで賑わいを見せるのです。